06 デフレの正体は「思い出より、おカネ」と思う心にあり:日経ビジネスオンライン

2010年2月18日(木)

06 デフレの正体は「思い出より、おカネ」と思う心にあり

経済学っぽくいこう! 2--『日本経済復活』その1

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「これからはもう経済成長はないんだ」
「そうしたなかで、いかにパイを仲良く分け合っていくかなんだ」
「・・・ちょっと待って。そういう社会で得をするのは、既得権益を持っている人たちであって、いまはお金がない若者にこそ、経済成長が必要なんだよ」
(「経済学っぽくいこう!」03 経済成長論ってなんで悪役になりがちなんだろう」より)

日本経済復活 一番かんたんな方法 』(光文社新書 勝間和代、宮崎哲弥、飯田泰之著、シノドス企画・編集)

 お久しぶりです。帰ってきた「経済学っぽくいこう!」。今回は『日本経済復活 一番かんたんな方法 』を上梓された飯田泰之さん(勝間和代氏、宮崎哲弥氏と共著)、この本の企画編集をされた荻上チキさんにお話をうかがいます。

 語られている内容は、金融緩和やインフレターゲットの導入などの、いわゆる「リフレーション(リフレ)」による、「脱デフレ」政策。これが日本経済を上昇気流に乗せるための「一番かんたんな方法」だ、という、なかなかに新書らしい、挑発的な内容です。

 発売前に読ませて頂き、気になった点、分からない点を前回までと同様、ものしらずの無遠慮さ丸出しでお二人に尋ねさせてもらいました。題するならば、ど素人のための『日本経済復活』補完計画。みなさんの疑問を先取りできれば幸いです。リフレ論についてはヘビーな質問もたくさんあるかと思いますが、まずは、マインドセットのお話からゆるりと参ります。(聞き手:日経ビジネスオンライン編集 Y)

話者プロフィール

飯田泰之(いいだ やすゆき)
駒澤大学准教授。1975年東京生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。現在、内閣府経済社会総合研究所、財務省財務総合研究所客員研究員を兼務。専門はマクロ経済学・経済政策。主な著作は『経済学思考の技術 ― 論理・経済理論・データを使って考える』(ダイヤモンド社)など。近著は『脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる』(雨宮処凛氏と共著、自由国民社)

荻上 チキ(おぎうえ ちき)
1981年兵庫県生まれ。評論家、編集者。専門はテクスト論、メディア論。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『12歳からのインターネット』(ミシマ社)、『ネットいじめ』(PHP新書)、『社会的な身体』(講談社現代新書)。共著、編著多数。社会学者・芹沢一也と共に、株式会社シノドスを設立。メールマガジン「αシノドス」編集長。

―― 『経済成長って何で必要なんだろう?』『日本経済復活 一番かんたんな方法 』の筆者陣に言うのもなんですが、「もう経済成長はしない前提で考えよう」「消費は悪だ」「クルマ買うなんてバカじゃないの?」という声は、この日経ビジネスオンラインを含めて最近本当によく耳にしますよね。

飯田 デフレは資本主義に淫した我々に与えられた罰であり、悔い改めて生きるべきだ、みたいなお話ですね。

荻上 『日本経済復活』でも宮崎哲弥さんが、日本のメディア世間では「なんとなく反成長」的なパラダイムが受け入れられやすいと嘆いていますからね。

デフレこそ「モノより、思い出より、お金」

―― この物言いは、ちょっと聞くと、不景気な状況、すなわちデフレ下では「モノより想い出」「カネより精神」で生きるべき、みたいに聞こえませんか。でも、この本では「いや、まるで逆。デフレは人々が『モノより、想い出より、お金』と思っているんだよ」と指摘しています。ここが個人的にはいちばん印象に残りました。

 デフレというのはモノに比べてカネの価値が高いことです。モノよりカネだから貨幣ではかったモノの値段が下がるわけです。ですから、デフレの正体って、物やサービス、あるいは将来への投資よりも、いまここにあるお金の方が大事だよねというコトに他ならない。だから、お金の価値が下がるような施策を採れば、消費や投資は動きだす。

――というお話が私には一番面白くて、かつ、一番納得しづらいところだろうなと思うんですね。逆にこれを受け入れられたら、なるほど、ならばこの本が主張するようなリフレ的な政策はありだな、となっていくと思うんです。

飯田 たしかに、そこが「経済学っぽい」考え方を理解していただくうえで肝になるところです。まずは普段の消費・貯蓄の意志決定から説明していきましょう。Yさん、ご自分の現時点で処分可能な財、資産、財産にはどんな種類があるか、答えて頂けますか。リスク順に行きましょう。

Y ええと、「現預金」、そして私は持っていませんが、「国債」「社債」、それに「株式」「投資商品」ってところでしょうか。

飯田 そのとおりです。あと、これに外貨、不動産もいれるといいですね。さらに「消費」「税金」「減耗」を加えると、「財の持ち方」がすべて揃います。自分が持つお金プラス稼いだお金は、このどこかに割り振れる。というか、他の持ち方はできない。

Y 「減耗」ってなんですか。

飯田 耐久財……個人で言うと自動車や家電・建物が古くなって価値が下がることですね。あとは道に落とすとか、泥棒に取られるとか、洗濯物にまざってちぎれてなくなるとかも減耗です。

 おさらいすると、人は「現預金」「その他資産」「消費」「税金」「減耗」にしか、手持ちのカネを振り分けることは出来ない。そして現在は資産、そのなかでも現金に人気が集まっている。現金との交換が容易な預金、金額面でのリスクがない国債・優良企業社債に人気が集まるのも元を正せばこの「現金に対する人気」から派生する事態です。

 現金というのは、どんなにみんなが頑張って保有しても、それによって何か新しいビジネスが生まれたりしないんです。つまり、現預金から消費や実物投資にお金が回るようにしないと経済は動かないんですね。

――何か将来の生産に結びつくような資産をみんなが欲しがるようにならないと、なかなか社会が回るようにはならないということですね

おカネが回らなくていいこと、何かある?

飯田 そうです。お金が回らないとろくなことにならないという話の壮大な例が17世紀から18世紀にかけてのイギリスの興隆とフランスの凋落でしょう。フランスは産業革命を起こせなかったのに、なぜイギリスは起こせたのか。フランス人は富が上層に集中していたために、お金をベルサイユ宮殿や金の冠を作るほうに回った。でも、宮殿とか冠があっても、ちっとも国は豊かにならないんですよね。文化的な話はさておいて。

―― なるほど、お金が形を変えただけですもんね。

荻上 日本でも、各地方に一億円配って、色々なオブジェを建てたことがありましたね。あれも、携わった大工さんや職人さんには仕事になったでしょうけれど、ビジネスとして育っていったわけじゃないし。財政出動をすれば、その分GDPが上がるのは当然ですが、波及効果と持続可能性の面でいえば、「経済効果」だってあんまりでした。

飯田 それに対してイギリスには中流階級──中流階級というのは日本の中流階級とはまったく違う意味で、要するにブルジョア=市民階級ですよね。ブルジョア育成されていたので資金が何に向かったかというと、工場を建てるという、まあ、投資信託に近いような実物投資に結び付いた。

 実物投資に結び付くと雇用は生まれるし、ラーニング・バイ・ドゥーイングというんですけれども、実際にオン・ザ・ジョブ・トレーニングみたいな形でスキルも積まれていき、国全体が発展していく。

 で、日本で今まさに何が起きているかというと、国民全員が頑張って、それだけでは何も生まない「お金」そのものを保有しようとやっきになっているんですよね。では、なぜ何も生まないものを保有しているかというと、まさにリスクが怖いからだ、という話になるわけです。



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―― うーん、さっきのお話で言えば、お金の向き先が不動産になったら、それが(85年以降の)バブル。お金そのものになったら、それがデフレ。お金そのものに向かうのはなぜかというと、他のものに使うリスクが怖いから……。

飯田 だから、何とか現預金、国債、そしてAAA社債みたいな、ほとんどリスクがないも同然の社債、この3つから、いわゆる実物投資、または消費に金を流してやらねばならないんです。そのためには、あまりにも有利な現預金の保有は何とか抑えてやらないといけないと。

―― ああ、「リスクがない資産」は、リターンも極めて低いから、お金が回らないし、産業革命のイギリスみたいな新しいビジネスや雇用も生みにくい。要するにフランスみたいな形で、リスクの低いところでお金が回っていても景気はよくならないと。

飯田 突っ込まれる先に言っておきますと、僕は、デフレ不況よりバブルの方がましじゃないかと思います。バブルはよくはないんですけれども、デフレ不況よりはいいだろうと。

*         *        *

―― デフレよりバブルがまし、というおいしい発言をいただいたところでお聞きしたいのですが、じゃあ、なんらかのリフレ政策が発動してお金が供給されたら、人々はモノを買うのだろうか。「すでに消費したいものはなくなった」という指摘もあふれておりますし。

 荻上 「既にモノの豊かさは行き渡ったんだ」というような言い回しですね。あるいは、「嫌消費」という言葉を謳う本もあるぐらいですし(『「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち 』松田久一著、東洋経済新報社)。

―― 私も読みました。「みんな消費はしたいけれど、みんな、他人が欲しがるモノはどれか分からない。だから買わない」という指摘がとても面白かった。

 本の内容はさておき、「嫌消費」というタイトルからは「若者は消費を嫌い始めたんだよ」という見方がうかがえる。一方、同じ事象を前にして『日本経済復活』からは「いや、お金を大事にしているんだよ」という見方がある。

 ぜひ荻上さんに伺いたいところなんですけど、お金が生活維持ラインを越えてじゃぶじゃぶ来たら、特に若い世代は、「物が欲しい、いいレストランに行きたい、クルマが買いたい」となるものか、どうか。いかがでしょう?

「嫌消費」だったのにおカネが入ったら、ころっと転向した私

荻上 ピンポイントに「クルマ」に向くかどうかはさておき、今よりお金を使うようにはなるでしょう。

 例えばバイトを正社員にして、「これから、毎月20万円もらえます。ときどきボーナスもつきます。さらに昇給もあります」となったら、その20万円を毎月まったく使わないということはないですよね。マンガやDVDを大人買いしたり、いままで控えていたものを取り揃えたり、ファッションやインテリアなどを買い換えて「ワンランク上の生活」を求めたりと、消費の幅は確実に広がるでしょう。

 個人的な話をしますが、僕が大学院生だったころは、当然ながらお金がなく、しかも文系的・ニューレフト的な思考法がベースにあったので(笑)、「嫌消費」的な態度をとっていたわけですね。「お金がなくても、一生幸せに暮らすことはできるはず」といったように。でも、就職していざ正社員になったら、やっぱり色々と消費をしはじめた。高い研究書だって気にせず買えるようになったし、遊びの幅も広がったし、外食も増えた。ライフスタイルが大きく変わらなくても、「財布の残り額」を気にしなくて済むようになった分、サイフの紐が緩んでいったんですね。あまりにわかりやすすぎる「転向」をしてしまったわけです(笑)。

左:飯田泰之 氏 右:荻上 チキ 氏
(写真:大槻 純一)

 お金を何にどう使うか、あるいは使わないかは、経済環境と、それに対する予測と期待で決まります。「期待」というと、「こうなるといいな」というイメージが日本語にはあるので、「予期」といったほうがいいかもしれません。人は、「こう来るだろうから、こうしないといけないな、こうしたら賢明だろうな」と、現状がどういうゲームなのかを観察をしたうえで、それに対するフィードバックとして、戦略を練り、行動をするんです。

飯田 予測と、それにもとづく対策ですよね。

荻上 ええ。そして、人は環境に「適応」するもの。「これからもお金がどんどん入ってくるだろう」と予測すれば、ちょっと使いすぎだとしても大丈夫だろう、と思うようになる。逆に、「いつお金が手に入るかわからない」と予測すれば、財布の紐を固く締め、節約するようになる。歴史教科書に載っている風刺絵で、成金が「どうだ明るくなったろう」といってお金を燃やすシーンを見たことはありますよね?あれはとても典型的で、お金を燃やしても、また入ってくるだろうと予期できるからこそ、ああいう行動を取ったわけです。

 先行きへのネガティブな情報は、メディアでも毎日入ってきますし、今や多くの人が体感している。テレビ番組も「小粒化」しているし、「いかに節約するか」「自然な生き方をするか」といった番組がとても人気。そうした状況に「適応」しようとする結果、消費を今までより控えるのは当然ですよね。それは確かに、心性の変化も関わる現象ですし、文化の変化や世代間のギャップも含むもの。ですが、基本的には経済的な現象として捉えた方が、話が早い。

「消費」の分析は、まず経済的な視点からすべきでは?

―― つまり、「嫌消費」は経済環境への対応であって、なんというか「歴史的な必然」じゃないと。

荻上 そうです。印象ですが、最近では「若者の××離れ」といった報道をメディアがするたびに、「なら金よこせよ」という、とても「正しい」反応をする人が増えたように思います。生活的実感がベースになってきたのでしょうか。事実、「若者の××離れ」といわれるものの多くは、本当は「××の若者離れ」といったほうがいいように思います。「××」を消費し難いような状況、手の届かないものになっているわけですから。

 「嫌消費」「××離れ」的な説明って、いかにも「物語的発想」という感じがしますよね。人々の行動が変わったのは、コミュニケーションスタイルやライフスタイルが変わったからだ、そこには何かしらの世代的変化があるからだ、と。それも、何でも心的要素に還元して説明しようとする、悪しき習慣です。それでは、原因と結果を取り違えてしまう。

 例えば、「80年代末に社会の『大きな物語』が喪失し、共通の期待や将来の予測も付きにくくなった。そうした中でみんなが追いつけ追い越せみたいな形で競争したりするより、自分だけのミニマムな、村上春樹の言葉で言えば『小確幸』の世界観みたいなのを構築したほうが幸せになれると気づいてきた。それが、価値観の分散や、消費のタコツボ化・小粒化につながっている」というような、段階発展論的な「物語」を聞いたことはありませんか?

―― とてもよく聞きますね。自分で言ったこともあったかも。

荻上 ですか(笑)。こうした精神史のすべてが誤りだとまでは思いませんが、「消費」という経済的な現象を分析するんだから、お金の話、経済環境の変化の話をしないのは不恰好な議論だと思います。経済状況が人のマインドと連動していると考える方が、「対策」についての議論にもスムーズに移れると思うんです。



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―― 「嫌消費」的な気分があるのは本当だし、人々の気持ちが「小さく確実な幸せ」に向き始めているのも本当かも知れない。でもその底にあるのは経済環境である「不況(デフレ)への適応」ではないか、と。つまりどちらもある意味正しくて、「原因」と「結果」をそれぞれ語っている。でも世の中には「結果」を「原因」と取り違えることがよくあると。

荻上 バブルのころには、「アッシー君、メッシー君、ミツグ君を囲うのがタフ」「金をケチるのはスマートじゃない」というような「バブルカルチャー」がありました。今は逆で、エコでロハスで節約で、といった感じになっている。ライターの速水健朗さんの言葉で言えば「デフレカルチャー」化しているわけですね。社会のロールモデルが、経済状況に応じて移り変わっているというわけです。

―― クルマが売れないのも、アイコンとしての価値が失われたことがあるんだろうけれど、その大元にはやはり所得減が効いている。手に入らない、維持できない、だから「あんなものを買うヤツはバカだ」という、すっぱい葡萄みたいな雰囲気が出てくるのかもしれない。うーん、口に出すとなんて当たり前なんだろう…。

荻上 集合的な消費現象というのは、「消費のモード」自体の差異化のプロセスだけで決まるわけではありません。何をどれだけ消費するか、消費の際のロールモデルに何を置くかは、単に人々の心理の変化とか、コミュニケーションモードの変化だけを追っても見えてはこないはずです。その手の「俗流マーケティング」に頼るのは、企業にとっても損ではないでしょうか。

飯田 それについては僕自身ずっと思っていることがありまして。

―― なんでしょう。

飯田 そうした消費行動やロールモデルを決定づける、人々のマインドを観察するのってものすごく難しいと思うんですね。ただ、メディアの持つマインドを分析するのは極めて簡単なんですよ。

―― え。

「みんなが信じたい言葉」をメディアは供給する

飯田 メディアというのは何を供給しているかというと、需要側が欲しいものを供給するんです。当たり前ですけど、商売ですからね。そのせいでメディアが供給する言説というのは、「人々が自分に言ってほしいこと」です。つまりバブル期だったら「金をばりばり使え」と言ってほしい人がたくさんいるので、そう言うんですね。その一方で今は――お金がなくても幸せだと言ってほしい。

―― また、身も蓋もない(笑)。

飯田 だから「お金がなくても幸せだ」という言説をメディアが供給するし、そういう言説を供給する人に仕事を振るんです。

 ものすごくメディアの力って大きい。そしてメディアの致し方ない性質として望まれる言説を供給する。メディアというのはぶっちゃけ商売なので、やはり誰も求めてないものを供給したらいけないと思うんですね、ビジネスとしては。

荻上 スポンサーと視聴者、どちらかの意向を最大限に満たそうとするのが「自然」な振る舞いですからね。

飯田 そう、そのときに「今は何?」と言ったら、お金をばりばり持っていて、ぶいぶい使える人はほとんどいないわけですよ。そうしたら「お金がなくてもいいんだよ、だって人間だもの」という言説を流すべきなんですね。

―― そういわれれば自分も「そんなに簡単に癒されてたまるかい」って言いたい人に向けて書いているなあ(笑)。

荻上 「みんなが信じたい言葉」を提供するのが仕事ですからね。流言研究のベーシックな理論のひとつに「認知的不協和理論」というのがあります。現在起こっている状況と自分が保有している情報との間に矛盾が生じたとしましょう。私たちはその際に生じる精神的な不協和を、物語を供給すること、情報を捏造することによって埋めようとすることがあります。

―― というと?

荻上 情報が少ないけれど今起こっていることを説明したい、情報が少ないけれど何かを告白して優位に立ちたい、新しい情報を否定したい。そうした心性が、流言の発生を促す重要な要素とされます。

 お金がなくてつらい現状にあるといったとき、「ストイックさが人を鍛える」とか、「そういった不況の中でこそ見いだせる価値がある」とかの物語は、とても好まれます。昭和ノスタルジアブームとかもそのひとつかもしれません。そうした物語は、認知的不協和を埋めてくれるため、ますます欲望されているようにも思えます。

―― なるほど、なるほど。

草食男子か、吝嗇男子か

荻上 「草食男子(論)ブーム」にも似たようなものを感じます。もともとあれは女性の側から生まれた言葉ですよね。

―― 発祥は当サイトの深澤真紀さんの連載ですね(U35男子マーケティング図鑑 第5回「草食男子」)。

荻上 ファッション誌でも、「最近の男子は草食化しているから、待っているだけじゃダメだ。自分たちが肉食にならなければ」といった趣旨で扱われていたように思います。実際に草食男子が「増えている」かどうかは、例によってだれも数えていないでしょうけどね。

 僕の理解では、これもまた「デフレカルチャー」的な、経済的なことを背景にした言葉だったんじゃないかとも思います。男性の側にもお金がない。女性とガンガン付き合うのって、お金がかかる。それを、「男性が草食化しているので、なんとかしなくちゃ」という物語として、女性誌などでフォークロア的に受容されていったんじゃないかな、と。



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―― その「お金がない」状況下で、女の子に「吝嗇男子」扱いされないようなさわやかな振る舞いを身につけていった男子たちが「草食男子」なのかもしれない。

荻上 ここ20年間、例えば90年代のJ-POP=カラオケブームから、2000年代のお笑いブームへの移行へと、ますますお金のかからない方にいっていますからね。

飯田 さらに言うと、「もう消費したいものがない」「資本主義は行き詰まった」「もうこれくらいでいいじゃないか」云々というお話も、どんなもんだろうと思います。

 こういうところでは国際比較が非常に重要で、じゃあ、日本以外はどうなっていますかというと、まったく成長しているし、まったく消費したくてしょうがないんですね、みんな。例えば90年代以降の20年間で、だいたいOECD加盟国の名目のGDPは倍になっているんですよ。

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―― 倍(笑)。生み出した付加価値が倍ですか。

飯田 それに対して日本は横ばいなんですよね。

 「もう発展するだけ発展したから成長できないんだ」というためには、世界中で日本だけが成長できない理由を言ってもらわないと困る。「世界中で日本だけが成長できない」っていう凄い極論を主張しているんだというのをもう少し自覚して欲しいです。

 みんな何か身の回り10メートルぐらいだけを見て「世界中が成長しない」ような感覚になっているんですが、そんなことをやっている間に、とうとう2016年に韓国、2017年に台湾に日本は抜かれます、1人当たりGDPで。

―― 1人当たりで抜かれちゃうんですか。

飯田 もちろん韓国・台湾がこれまで通り成長する一方で日本はこのまま……という前提での計算ではありますが。日本が進むことが出来たかもしれない幸せな道を、韓国・台湾が先に行ってしまうかもしれないという。

―― う~ん。

「日本以外全部回復」はなぜ起こる?

飯田 IMFは比較的日本の回復を高めに見積もっていますが、その他の研究機関では「世界経済は急ピッチで回復!ただし日本以外」みたいな予想を出すところもあります。

荻上 まさに『日本沈没』。

―― 『日本以外全部沈没』って筒井康隆の本がありましたけど……。

飯田 この場合は『日本以外全部回復』ですから元バージョン……小松左京の『日本沈没』ですね。

―― そっちですね(笑)。

荻上 しかも、そこで日本だけが沈んでいく理由みたいなものを説明する物語さえ、流通しているわけです。日本特殊論とか、「国民性」とか、「等身大の日本」とかいう言葉で。

飯田 そうなんですよね(苦笑)。

荻上 そして、日本はもともと節約家でとか持ち上げつつ、「金融資本主義」「株主至上主義」みたいな悪習は日本には合わないのだ、とか。

飯田 あとは、「少子化だからしょうがない」というのもありますね。

―― あ、それも違うのですか? 人口が減っているので、経済成長率などが下がるというのはよく言われていることですが。



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飯田 実は、少子化は要因としてはそれほど大きくはないんです。例えば韓国だって急ピッチに少子高齢化が進んでいるのに、2015年には日本を抜くかもしれないんですよ。

荻上 そもそも、OECD先進諸国は軒並み少子化ですね。アメリカやフランスなどでは、合計特殊出生率が緩やかには回復していますけど、少子化を前提にしているのは日本だけではない。それに、少子化回復にも、経済回復は重要な要素になりますしね。

飯田 今年から来年にかけてのOECD各国の経済成長予想がばかっと跳ね上がっているし、新興国はもうほぼ回復な雰囲気です。そうなったら、「資本主義崩壊論」はどうなるんでしょうか。

荻上 さぞ盛り上がるんじゃないですか(笑)。

飯田 日本は相変わらず悪いからね。

荻上 そうそう。「我々は資本主義のフロントランナーである。他国は回復したかもしれないけど、それはまだ日本のところまできていないからだ」とか言い出すんじゃないですか。

飯田 我々は先頭を切ってだめになっているんだと。

―― やだ、そんなの(笑)。

荻上 「サブプライムローンの崩壊によって、金融工学のダメさ、資本主義の限界が露呈した」と叫んでいた人もいましたね。アメリカが先に回復した時、なんて反応するのかは楽しみです。「いずれはまた不況になる。だから日本は今のうちにいろいろ体験して、ゼロ成長社会に適応しておけば、次の社会モデルではトップランナーに逆転できるはずだ、だから我慢しよう」とかかな。こんなの予想してもしょうがないんですが(笑)。

飯田 ということで、また我慢かという。今の状態でも、一人当たり国民所得水準でアメリカの7割、8割程度の国が資本主義のフロントランナーって、笑かすなという話ですよ。もはや、日本はフロントランナーではありません。ここ10年、停滞を続けたせいで、日本の1人当たりの所得水準であるとか、生活水準のポジションが、英米の下、韓国、台湾の上という感じになっています。だんだん「張り出し先進国」みたいになってきちゃったんですね。

日本に根治手術は必要。ただし、体力が戻ってからね

―― 「張り出し先進国」って(笑)。

飯田 いや、笑い事じゃありません。ただ単に1億人も人間がいるから、何となくプレゼンスがあるだけで、事実上は既に「張り出し先進国」化しつつあります。十年もしたら、「張り出し」のポジションですら微妙でしょう。

――我慢しているだけではダメだということですね。うーん……。

荻上 「欲しがりません勝つまでは」というようなスローガンは、「いずれは勝つ」と思えるからこそ引き受けられるものですよね。特に明るいビジョンもないまま、何となく「終りなき我慢」を強いられているような状況だと、誰もがくたびれちゃいます。そうした状況で起業やイノベーションを期待するのは、現実的ではないですよね。

飯田 それで言っちゃうと、何か今回の経済停滞も何か天災の1つだととらえている人が多すぎる。

―― はい、はい、そういうとらえ方はありますね。

荻上 いうなれば「不況天災史観」、あるいは「不況天罰史観」ですね。

飯田 不思議なのは、もう起きちゃったものはしょうがないから、善後策を考えるという「考え方」がないんですね。この点でいかにもアメリカ人っぽいのが、「FEDビュー」に現れている金融政策です。もうバブルが起きるのはしょうがない、崩壊もしょうがない。どこまでがバブルか単なる好況かも分からないし、どうしていいかも分からないよと。じゃあ、どうするかといったら、起きちゃった後に善後策を考えようと。

 でも、日本の場合は何か方策が出ると、すぐ「それは根本的な治療じゃない」とか「それで何もかも解決するわけじゃない」って話になるんですよね。

―― なりますね。「根本的かどうか」という話ですべての議論を止めちゃうところがありますね。

飯田 さらに言うと、原因を根絶しないと病が治らないかと言ったら、そうでもないというのが分かっていない。

 手術の例でいえば、取りあえず小康状態を回復させないと手術ってできないんですよ。それなのに、もう体力がなくなって、おまけにほかにたくさん病気を抱えている状態で、さあ、根治手術、ってそれはもうやぶ医者のやること。現在の日本経済への対応がやぶ医者にすがるか座して死を待つか……っていう変な二択問題になってしまっているんです。

―― ああ、そこでリフレ論について二番目にお聞きしたかった「時間軸」のお話が出てくるのですが、長くなりましたので以下次回に。

 『日本経済復活』の具体論は、書籍でぜひ。突っ込みたいポイントなどもコメントでお寄せ頂ければ、可能な限りみなさんに代わってお聞きしようと思っています。短期集中連載になりますので、お早めによろしく。


3月13日、シノドスのセミナーが大阪で開催されます。今回登場して頂いた飯田さん、荻上さんの話をナマで聞き、勉強するチャンス。詳しくはこちらから。