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RöntgenによりCrookes管および類似の装置(Hittorf管・Lenard管)から2 m離れた蛍光物質を感光させる不可視の光線が放射されていることが発見された。
"On a new kind of rays", Nature volume 53, pages 274–276 (1896)
当時、陰極線を粒子の集団と解釈するか波動と解釈するか論争がなされており、この年J.J.Thomsonは陰極線が粒子のような性質をいくつか示すことを報告した。その代表的なものは電子の質量と電荷の比の測定である。磁場をかけた時の陰極線の曲率から$\frac{mv}{e}$を、陰極線を照射した物質の温度上昇から導かれた運動エネルギー、もしくは電場をかけた際の加速の様子を調べることによって$v$を求めた。
"Cathode Rays", Philosophical Magazine, 44, 293-316 (1897)
Ernest Rutherfordによってウラン鉱石から生じる$\alpha$線と$\beta$線が発見された。
$\alpha$線を金原子にぶつけた散乱の結果。
疑問:つまり原子核より先に$\alpha$線は発見されている。当時$\alpha$線は何だと思われていたのだろう(素粒子だと思われていた?もしくはそんな考えを誰もしなかった?)?
Hessは、霧箱を乗せた気球を高度4 kmに打ち上げ、高度が上昇するに従ってレートが大きくなる粒子線(宇宙線)を観測した?(detectorは何?) 今まではこのような粒子線は地球内部の放射性物質によるものだと思われていたので、レートは下がるはずだと予想されていた。
霧箱の発明は1911年、Wilsonによる(原理に気付いたのは1887年らしい)。ちなみに拡散霧箱(連続観測可能)が発明されたのは1939年。
宇宙線の正体は1945年に高エネルギーの陽子だとわかるまで、X線か何かだと思われていたようだ。
光子がいつ発見されたか、という問題は難しい(最初の人類が目を開けた瞬間?)。 この年にはMillikanによって、Einsteinの光量子仮説が証明された。 Einsteinは1921年に,Millikanは1923年に上記の業績でノーベル物理学賞を受賞した。
"The positive electron", Phys. Rev. 43, 491 (1933)
Andersonによって霧箱中に陽電子の飛跡が発見される。
霧箱中の鉛を通過する飛跡をみると、そのエネルギーロスによる磁場中での曲がり方の変化から粒子の運動の向き=電荷がわかる。
疑問:有名な写真の陽電子の運動量は63 MeVと推定された。この微妙な運動量の陽電子はどうやったらできる?
仮説1:この霧箱は気球で遥か上空にあった。一次宇宙線が霧箱の壁にあたり、ややブーストされた$\pi^0$を作った。その崩壊$\gamma$から出てくる陽電子ならそのくらいになるはず。→対生成された電子が見えていないのはなぜ?
仮説2:この霧箱は地上にあった。$\mu^+$が霧箱の壁で止まり、崩壊してMichel電子を出した。ニュートリノ2つが半分くらいのエネルギーを持ち去ればこのくらいの運動量になるはず。→真面目に計算すると実はならない(最大値は53 MeV)。→H.N.くんが面白い資料を見付けてくれた。
Andersonは霧箱を用いて、宇宙線中に貫通力が高いがエネルギー損失の小さい粒子 = 陽子より軽く、電子より重い粒子(ミューオン)を発見した。
"Note on the Nature of Cosmic-Ray Particles", Phys. Rev. 51, 884 (1937)
ただし当時これは$\pi$だと思われた。しかし、その性質が調べられると$\pi$にしては長い寿命"
Variation of the Rate of Decay of Mesotrons with Momentum", Phys. Rev. 59, 223 (1941)、高い透過力(=物質中であまりchaptureされない)"On the Decay Process of Positive and Negative Mesons", Phys. Rev. 71, 209 (1947)を持つことがわかった。さらに1947年、原子核に捕獲される$\pi$らしき粒子が別に発見された"Nuclear Disintegration by Meson Capture", Nature volume 159, pages 126–127 (1947)。
I.I.Rabi「Who ordered that?」
疑問:霧箱の発明から26年が経っているが、なぜミューオンの検出はそんなに難しかったのだろう?
仮説:シャッターはGM計数管のヒットで下ろす。MIPでは比例計数管に十分な信号がなかった。
Powellによって$\pi$が$\mu$に崩壊する様子が原子核乾板で発見された。
"Observations on the Tracks of Slow Mesons in Photographic Emulsions", Nature volume 160, pages 453–456 (1947)
どの写真を見ても$\mu$の飛跡はほとんど同じ長さだった(=エネルギーが単一)ので、$\pi$の崩壊は2体崩壊だとわかった。
宇宙線の中からV字の飛跡が発見された。これは$K^0$の弱い相互作用による崩壊である。
ニュートリノの存在は、$\beta$線の連続スペクトラムから示唆されていた。(or エネルギー保存を諦める)
Cowan, Reinesが原子炉からの$\overline{\nu}_e$を直接観測した。逆$\beta$崩壊(Inverted Beta Decay)の終状態粒子$e^+$と$n$のcoincidenceを取ることで同定。
陽電子は511 keVの$\gamma$線、$n$はCd($\mathrm{CdCl_2}$を水に溶かしている)に捕獲された後の遅延$\gamma$がシグナル。→IBD検出の仕組みはSKと同じ
Ledermanらによって発見。 加速器ニュートリノ$\pi$の崩壊から出て来る$\nu$はほとんどが$\mu$を生成する反応を起こすことを確かめた。 実はちょっとだけ$e$も見えている。→helicity suppression
パートン
二つの実験で同時に発見された
$e-e^+$衝突実験で生成。 信号は$e^-\mu^+~(e^+\mu^-)$(レプトンフレーバーを破っているように見える)。
この解析は、運動学的性質を調べることによって行われた。 まず、衝突点から粒子対ができていることがわかった。 この粒子は$\nu$を出す3体崩壊をしていたのでレプトンだとわかった(D中間子(1976年発見)と非常に質量が近い。Dは$\nu_\tau$を出さなくて良いので2体崩壊。)
$\tau\rightarrow\nu_\tau+l+\nu_l,\quad D\rightarrow l+\nu_l$
つまりこれが$\tau$(=第3のレプトン)だという証拠は、その崩壊が必ずその新しいフレーバーを持つニュートリノを伴うことである。$\nu_\tau$を先に見つけたと言えるかもしれない(?)。
基底状態$\Upsilon(1S)$はBメソン二つよりも軽い。 Bファクトリーでは4Sを使う。
3 jets
LEP
ちなみにT2KのNear Detectorで使っているマグネットはこの実験で使われていたもの。
テバトロン
DONUT
LHC